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福岡高等裁判所 昭和38年(ネ)412号 判決 1965年6月24日

控訴人(被参加人) 検察官

補助参加人 山田悟

被控訴人 松島ツヤ子

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は補助参加人の負担とする。

事実

控訴人補助参加代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、まず「本件控訴を却下する。」との判決を、次いで本案につき「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上、法律上の主張ならびに証拠関係は、以下の点を補充追加するほか原判決の事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

被控訴代理人において、控訴却下を求める理由として、本件控訴は、控訴人の補助参加人から独立して提起されたものであるが、補助参加人は被控訴人および控訴人間の本件離婚無効確認訴訟の結果につき、直接、法律上の利害関係を有する者ではない。もつとも補助参加人は、被控訴人の夫であつた訴外亡山田朋太郎(以下単に朋太郎という。)の婿養子であるから、本件訴訟の結果如何によつては、朋太郎の遺産相続人として、その遺産分割につき財産上の利害関係を有しないわけではないが、しかし本訴は、人事訴訟手続法に基づく身分法上の訴訟であるから、補助参加人に直接法律上の利害関係があるはずはなく、もしありとすれば、それは単に本件訴訟の結果についての間接的な利害関係であるに過ぎない。従つてそれは個々の訴訟の先決問題として主張すれば足りるのである。しかしてかように間接的な利害関係を有するに過ぎない者に、他人間の離婚無効確認訴訟につき、補助参加を認めるということは、民事訴訟法第六四条の許容しないところと解すべく、従つてかかる補助参加人の提起した本件控訴は不適法であり、かつ、その欠缺は補正の途がないのであるから当然却下を免れない、と述べ

補助参加人の抗弁に対し、被控訴人が朋太郎との協議離婚を追認した事実はなく、また、かかる追認は法律上何らの効力を生ずるものではない、と述べ

補助参加代理人において、答弁および抗弁として、被控訴人主張の朋太郎と被控訴人間の本件婚姻届出は、当事者双方の真意に基づいてなされたものではない。従つて朋太郎と被控訴人間の本件婚姻は当然無効であり、本件婚姻が初めから無効であるとするならば、仮りに被控訴人主張の本件離婚届出が被控訴人不知の間に朋太郎の一方的な意思に基づいてなされたものであつたとしても、もともと婚姻そのものが当然無効なものである以上は、被控訴人には、本件協議離婚の無効確認を求める訴の利益は存しないものといわなければならない。しかして朋太郎と被控訴人間の本件婚姻届出が、当事者の真意に基づいてなされたものでないことは、次に述べる諸般の事情、すなわち被控訴人は、朋太郎の正妻である訴外亡山田タミヨ(昭和二七年三月一四日死亡、以下単にタミヨという。)の生存中から妾として朋太郎の世話を受けていた者であること、タミヨ死亡後も朋太郎と被控訴人間の妾関係には何らの変更がなかつたこと、朋太郎において被控訴人をタミヨ亡きあとの後妻に直すため、とくに結婚式を挙行し、あるいは結婚披露宴を催すなど、被控訴人を正妻として公表するが如き何らの措置も講じた事実の存しないこと、タミヨ死亡後も、朋太郎はもちろん、朋太郎の子供、親戚、知人その他すべての人々が被控訴人を朋太郎の正妻として処遇した事実の存しなかつたこと、被控訴人が主張する朋太郎との結姻後である昭和三〇年二月一〇日以降も被控訴人は、選挙関係、印鑑届、電話加入権、不動産登記、証券取引、納税関係、住民登録票、その他あらゆる生活関係において、いぜんとして旧姓の松島姓を用い、山田姓を名乗つた事実の存しないこと、などの諸事実に徴して明白である。もつとも朋太郎が被控訴人主張の如く、昭和三〇年二月一〇日被控訴人との婚姻届を提出したこと前記の如くであるけれども、しかしこれは、そのころ朋太郎は老令と寒さのため、とくにその身辺の世話を必要とするような状態に在つたので、被控訴人に対し、被控訴人が当時勤めていたという久留米市内の旭屋デパートを退職して朋太郎の看護に専念してもらいたい旨を要望したところ(真実は、被控訴人は既に一年前に旭屋デパートを辞めておきながら、朋太郎にはこれを秘し、その後もデパートに勤務しているかの如く朋太郎を申し欺いていた。)、被控訴人は、デパートを辞めるには結婚をしなければならない、是非とも辞める必要があるならば結婚したことを証明する戸籍謄本か抄本を提出しなければならぬ旨、デパートの人事課から厳命された旨答えたので、身辺の不自由さに耐えかねていた朋太郎は右被控訴人の虚言を信用し、被控訴人を辞めさせるための一時的方便として前記婚姻届を提出したものであるに過ぎず、朋太郎に真実、被控訴人と婚姻する意思の無かつたことは、婚姻届出後、僅か五〇日後の昭和三〇年三月三〇日には離婚届が提出されている事実および前述した諸般の事情に照らして明らかである。

仮りに朋太郎と被控訴人間の前記婚姻が有効であると認められるとしても、昭和三〇年三月三〇日の協議離婚は、当事者合意のうえでなされたものであつて、その間、何らのかしも存しない。このことは前記諸般の事情に徴して明白であるばかりでなく、仮りに被控訴人に、当時離婚の意思が無かつたとしても、被控訴人は、もともと朋太郎の妾であつて朋太郎の意思に従うのほかなき事情に在つたことおよび前記諸般の事実に徴すれば、被控訴人において、その後本件協議離婚を追認したものと認めなければならない。よつて被控訴人の本訴請求は失当である、と述べた。

証拠<省略>

理由

第一、被控訴代理人の控訴却下の主張について。

被控訴代理人は、本件控訴は被控訴人および控訴人間の離婚無効確認という人事訴訟であつて、補助参加人には、その訴訟の結果につき、直接法律上の利害関係はなく、従つて、かかる直接の利害関係なき補助参加人の独立して提起した本件控訴は不適法である旨主張するのである。しかし民事訴訟法第六四条の規定は、他人間の訴訟の結果につき法律上の利害関係を有する第三者をして、その訴訟の繋属中当事者の一方を補助させるため、これに参加させることを定めたものであつて、その法律上の利害関係とは、公法上の利害関係たると私法上の利害関係たると、身分上の利害関係たるとはこれを問うところではないものというべく、人事訴訟についても民事訴訟法第六四条の要件を具備する限り、補助参加を許さないとなすべき理由は見出し難い。

これを本件について見るのに、本件訴訟は妻であつた被控訴人が夫であつた朋太郎死亡後、検事を相手方として協議離婚の無効確認を求めるものであつて、協議離婚無効確認の訴については、民法および人事訴訟手続法には別段の規定は存しないけれども、婚姻の無効、取消しの場合に準じて人事訴訟手続法第二条第三項、第三二条第一項、第一八条第一項の規定が準用され、その判決は第三者に対しても対世的効力を及ぼすものと解せられるのであるから、甲第一号証(戸籍謄本)によつて明らかな如く、朋太郎の婿養子である補助参加人が本件訴訟の結果如何によつては朋太郎の遺産相続人として財産上の利害関係を有すべきことはもちろん被控訴人との間に姻族としての親族関係の存否についても、直接、身分法上の利害関係を有すること明白であつて、これらの関係は、まさに民事訴訟法第六四条の「訴訟の結果による利害関係」に該当するものと解するのが相当である。しかも第一審における補助参加は第二審においても効力を有し、かつ、民事訴訟法第六九条の規定によれば、本人の意思に反しない限り補助参加人にも上訴提起の権限が認められているのであるから、本件補助参加人のなした本件控訴の提起には何ら違法の点はなく(本件記録を精査するも、本件控訴が控訴本人の意思に反するものであることはこれを認めることができない。)、被控訴代理人の前記主張はとうてい採用することができない。

第二、本案について。

甲第二、三号証(いずれも戸籍謄本)によれば、朋太郎と被控訴人との婚姻届が昭和三〇年二月一〇日、当時の三井郡御原村長(現在は小郡町に合併)宛に提出され、同日受付け、それぞれ朋太郎と被控訴人の戸籍中身分事項欄にその旨の記載がなされたことが明らかであつて、右甲第二、三号証に、当審証人酒見美保子の証言によつて成立を認め得る乙第八号証(婚姻届)、原審証人松尾岩雄、同高木伝、同吉田スエノ、同松尾藤子、当審証人田中久子の各証言、原審ならびに当審における被控訴本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、右婚姻は有効に成立したものと認めるを相当とする。ところで補助参加人は、朋太郎と被控訴人間の本件婚姻は、当事者双方の真意に基づくものではないから当然無効であり、婚姻そのものが当然無効である以上は、被控訴人は、本件協議離婚の無効確認を求める訴の利益を有しない旨抗争するので、この点について順次検討することとする。

原審証人今村英策、同肥山正刀、同中原トモヱ、同山田サカイ、同松本美保子、同山田みさよ、同山田ミキヱ、当審証人山田隼人、同山田悟(補助参加人)、同田村団造、同原野平五郎の各証言に前顕甲第二、三号証を総合すると、なるほど被控訴人はタミヨ(昭和二七年三月一四日死亡)の生存中である昭和二〇年頃から朋太郎の妾として同人と情交関係を結んでいたこと、朋太郎において被控訴人をタミヨ亡きあとの後妻に直すため、とくに結婚式を挙行し、あるいは結婚披露宴を催すなど、被控訴人を正妻として公表するが如き何らの措置を講じた事実の存しないこと、従つてタミヨ死亡後も朋太郎の子供、親戚などにおいては、いぜん被控訴人を朋太郎の妾と思い込み、朋太郎の正妻として処遇した事実の存しなかつたこと、本件離婚届が婚姻届の僅か五〇日後になされていることなどの諸事実を認め得ないわけではないが、しかしこれは前顕甲第二、三号証によつて明らかな如く朋太郎は明治一六年八月一日生れ、被控訴人は大正五年一〇月一七日生れであつて余りにも年令の差にひらきがあること、前記認定の被控訴人と朋太郎との間に前妻タミヨ生存中から情交関係が続けられていたことなどの事実に前顕各証人のすべての証言および弁論の全趣旨を総合すれば、タミヨ亡きあと被控訴人は朋太郎死亡時(昭和三七年三月一四日)まで同人と終始同棲し妻として朋太郎に仕えてはきたものの、被控訴人を朋太郎の正妻に直すことについては、朋太郎の子供や親戚一同において強い難色を示し、むしろこれに反対する態度をとつていたことが窺えるのであつて、これらの事実に徴するならば朋太郎において、一旦は被控訴人にせがまれ合意の上で婚姻届を提出はしたもの、子供や親戚一同に対する手前上、公表をはばかつてこれを内密にしようとして、密かに離婚届を提出していたがために、朋太郎の子供や親戚一同においては、そのまま被控訴人を、いぜん朋太郎の妾と思い込んでいたに過ぎないのではあるまいかということが推認され、これに前顕乙第八号証に当審証人酒見美保子の証言の一部を総合して認め得る本件婚姻届は朋太郎自身が自から当時の御原村役場に出頭してこれを提出したもので、殊に婚姻届の被控訴人名下の印影については戸籍吏員酒見美保子の注意により朋太郎自身が一旦自宅に持帰り被控訴人の印影を押捺してこれを村役場に持参して提出したものである事実および被控訴人が朋太郎死亡まで終始同棲していた事実を斟酌して考えるならば、前記諸般の諸事実は未だもつて朋太郎と被控訴人間にまつたく婚姻の意思が無かつたものと断ずるに足りない。

また、原審証人肥山正刀、同中原トモヱ、同松本美保子、同山田みさよ、当審証人原野平五郎の各証言によれば、被控訴人は、本件婚姻届が提出された昭和三〇年一一月一〇日以降においても、朋太郎からの月々の手当が少ない故その増額を希望する旨の意向をもらしていたことが認められないわけではないが、これをもつては未だもつて前記認定を覆すに足りず、また右各証人らの証言によれば、被控訴人において、かねがね自己居住の家屋敷を自己名義にしておいてもらいたい旨希望していたことが認められるけれども、前記認定の如く朋太郎と被控訴人とは三〇才以上も年令の差があるばかりでなく、しかも被控訴人は、タミヨ生存中から朋太郎との妾的関係を経て後妻になつた者であつて、その間に子供はなく、朋太郎死亡後は、いわば四面楚歌の状態となるであろうことを慮つて、老後の生活安定のため、せめて自己居住の家屋敷でも自己名義にしておきたいと願うことは、むしろ人情の自然ともいうべきであつて、これをもつて直ちに当事者双方に本件婚姻の意思がなかつたとか、または被控訴人が本件協議離婚を承認していた事実の確証とは断じ難い。

また乙第一号証第二号証の一ないし四、第三号証の一、二、第四号証がこれをもつて本件婚姻の無効であることの確証となし難いことは、原判決説示のとおりであるから、原判決の三枚目裏末行から五枚目裏一行目の「できず、」までの理由部分をここに引用する。また乙第七号証によれば、昭和三五年一〇月一日施行の国勢調査の際における被控訴人の氏名が旧姓松島ツヤ子名義であつたこと、および昭和三八年一〇月一日施行の家屋統計調査の際も同様名義であつたこと、乙第一二号証によれば、昭和三〇年以降の住民税が松島ツヤ子名義で課税されてきたこと、乙第一三号証によれば昭和三五年度、昭和三六年度の選挙人名簿が被控訴人の旧姓松島ツヤ子となつていることなどの各事実が明らかであるけれども、これは一旦朋太郎と被控訴人の婚姻届が提出せられたにもかかわらず、その後五〇日にして離婚届が提出され、被控訴人の住民票もそのままとなつていたことの理由によるものではないかと推認され、また乙第一一号証によれば、昭和三五年一二月一九日以降山一証券との証券取引が松島ツヤ子名義で行われていること、乙第六号証によれば小郡局二〇二番電話加入権者名義が松島ツヤ子であること、乙第九号証の一、二によれば、昭和三六年一一月二二日付土地建物の売買に因る所有権取得登記名義が松島ツヤ子名義となつていることが各明らかであるが、原審および当審における被控訴本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、朋太郎は、いわゆる「ワンマン」的人物であつて、その一存によつて松島名義を使用したものであり、被控訴人においては、これらの名義がどうなつているかについては関知していなかつたものであること、乙第一五号証(昭和三七年五月九日付保全命令謄本)は、被控訴人が朋太郎死亡後の昭和三七年三月末に本件離婚届が提出されていることを発見した後のものであることが各窺われるから、これらの乙号各証をもつては未だ前記認定を覆えし本件婚姻が当然無効であつたとの心証をうることができない。

次に被控訴本人は、原審においては(七七項)、朋太郎から旭屋デパートを辞めるよう要求せられたが、デパートを辞めるには結婚したことを証明する戸籍謄本を提出するようにいわれていたので、その旨を朋太郎に伝えたところ、朋太郎が役場に赴いて戸籍謄本の交付をうけ、これを被控訴人に渡したので、被控訴人は右戸籍謄本をデパートに提出して昭和三〇年三月一五日付で退職した旨の供述をなしておきながら、当審においては(六項ないし八項)、原審の供述は思い違いであつて、旭屋デパートを退職したのは昭和二九年三月一五日であつた旨供述しているのである。そして当審証人山田康夫の証言によつて成立を認め得る乙第五号証に右証言を総合すれば、当審の供述が真実と認められ、原審における供述が真実に反するものであることは明らかであるけれども、しかし、少なくとも被控訴人に当時婚姻の意思があつたことは疑いの余地はなく、また朋太郎においても当時婚姻の意思があつた事実は、原審証人松尾岩雄、同高木伝、同吉田スエノ、同松尾藤子、当審証人田中久子の各証言および前記認定にかかる諸般の事実に徴して、これを認め得ないわけではないから、被控訴本人の供述に前記喰違いがあることの故をもつて、直ちに本件婚姻を無効とは断じ難いといわねばならない。以上認定に反する当審証人酒見美保子、同山田隼人、同田村団造、同山田悟の各証言部分は、前掲証拠に照していずれも真実とは断じ難く、他に以上の認定を覆えすに足る確証はない。

次に前顕甲第二、三号証によれば、朋太郎と被控訴人との離婚届が昭和三〇年三月三〇日三井郡御原村長(現在は小郡町に合併)宛に提出され同日受理されていることが明白である。ところで被控訴人は、右協議離婚は被控訴人の意思に基づかない無効のものである旨主張するので按ずるに、当裁判所も原判決と同一の理由により被控訴人の右主張を相当と認めるので、「従つて本件協議離婚の無効であることは明白というべく、他に右認定を覆えすべき確証はない。」と付加するほか、原判決の三枚目表六行目の「証人松尾岩雄とあるところから三枚目裏六行目の知らなかつたこと」までの理由部分を引用する。

次に補助参加人は、協議離婚が無効であるとしても、その後被控訴人において協議離婚を追認した旨抗弁するのであるが、かかる事実はこれを認むべき確証なく、前記認定にかかる諸般の情況に徴するも、原審証人吉田スエノ、同松尾藤子、当審証人田中久子の各証言を総合して認め得る、昭和三六年盆過ぎごろ、朋太郎が訴外津田テル子と情交関係を結んだとき、被控訴人が激しく朋太郎を詰問し、万一同訴外人との関係を解消しない場合には、籍を抜いてもらいたい(離婚)旨厳談し、朋太郎も同訴外人との関係を精算して、被控訴人居住の家、屋敷を被控訴人に贈与し、被控訴人名義に所有権取得登記手続をなした事実および原審、当審における被控訴本人尋問の結果と対比して考えるとき、とうてい被控訴人が無効な本件協議離婚を追認したものとは認め難い。

よつて被控訴人の請求を認容した原判決は正当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却し、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第八九条、第九四条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 岩崎光次 入江啓七郎 小川宜夫)

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